笹井宣昌 「集学的な慢性疼痛医療に必要なコミュニケーション力」や観る力
慢性疼痛にかかわり「集学的」あるいは「学際的」という表現が使われることがよくある。これは、その理解や治療に多職種の専門性を活かしながら関わる必要があるからだと理解している。将にチーム医療であり、患者を中心に多種多様な“ひと”の交流により展開される。したがって最近なにかとよく耳にする「コミュニケーション力」が、医療スタッフ(あるいはその卵)の立場ではとくに要求される。
この能力を向上させる方法として、経験に優るものはないと考える。マニュアル本に従う如く、はたまた一朝一夕に成されるものでもない。場面や対象はその時々で多様であり、ほとんどアドリブ的とも云える。ただし単に「場面に立ち会う」あるいは「形式的に参加する」、その時間が経過したという水準ではなく、場面や対象と関わろうとする気持ちをもちながら主体的に体現しようとする水準が必要だ。さらに、自身からの一方通行な状況は全く用をなさず、対象や周囲にたいする適切な理解と配慮が必要である。このような経験の蓄積は個人差が大きい。また同じ経験による能力向上についても個人差が大きい。
ところで、コミュニケーション力の一部でもあり、また「慢性疼痛医療」でとくに必要なこととして、対象(患者)を“よく観る”ということがある。末梢・局所の損傷のように原因が明確な“一次的な痛み”の慢性化には、心理も含めて患者ごとに非常に多様な要因が関連することが分かりつつある。すなわち患者をよく観てその声を傾聴し、患者ごとに慢性化のトリガー的要因について考察しなければならない。前述のコミュニケーション力のところに似ていて、“漫然と眺める”というより“理解しようとする気持ちをもちつつ観る”あるいは“コミュニケーションをとる”ことが必要であると考える。
さて、本プログラムに参加する学生諸君の「コミュニケーション力」や「観る力」は如何だろう?
もし高くない、低いとしても怖気づいて逃げるという選択は無いと考える。「慢性疼痛」や「医療」にかかわらず概ねの分野で必要な力である。また前述のとおりその能力を向上させるには経験を積むしかない。いずれの学生にとっても本プログラムへの参加が、自分を変える、あるいはさらなる向上のためのよい機会になると考える。積極的な参加に期待したい。
ささい のぶあき
名古屋大学理学部分子生物学科卒業、都銀勤務を経験した後、同大医学部保健学科を経て2002年に理学療法士免許取得。
2002~2007年▶㈱ジェネラス(訪問リハビリテーション)
2007~2010年▶姫路獨協大学医療保健学部 講師
2010年▶博士取得(リハビリテーション療法学、名古屋大)及び現職