高村光幸 「慢性疼痛に東洋医学的視点を」


 「我が身をつねって人の痛さを知れ」という格言がある。健常な人間が悩みを抱えた他人の気持ちを斟酌するのは、なかなか容易ではない。しかし容易ではないからこそ、我々は日々、自彊することを惜しんではならないのだと、自戒の念を込めてここに考えを述べる。

 東洋医学的には痛みをどう考えるのか。基本的な概念としてあるのが、「通則不痛・痛則不通」である。身体に必要不可欠な要素である「気血」が、その円滑な運行を妨げられる場合、痛みが生じるというものである。生命を維持する気血は、その正常なルートを、方向性を持って絶え間なく流れているとされる。身体になんらかの障害がおき、この流れに干渉すると、それは痛みとなって現れる場合があるというのだ。例えば、寒邪が体に侵入すると、その冷たい性質によって気血の運行を阻害し、痛みを引き起こす、というふうに。東洋医学に馴染みのない諸兄諸姉の場合は、寒邪による疼痛というものを次のようにイメージすればよい。いわゆる古傷や、リウマチでの関節痛などが、冷えた日には普段より痛みやすい、という誰かの経験を聞いたことがあるだろう。すなわち、寒いという環境因子(寒邪)が身体に影響し(多くは既になんらかの障害や弱点が身体に存在している)、その血行を阻害する(気血が通じない)ために疼痛が悪化するというメカニズムのことに相違ない。ほかに、寒邪を含む六淫(風・寒・暑・湿・燥・火)、七情(喜・怒・憂・思・悲・恐・驚)、食積、過労、瘀血、痰飲、外傷、虫積などが、全身或いは局所にさまざまな痛みを引き起こすとされる。これら術語の正確な意味がわからなくとも、字面からイメージしてもらえば日本人にとってそう難解ではないであろう。そしてこれらは、東洋医学の根底に流れるもっとも重要な、「形神統一論」・「整体観念」の観点を含んでいる。さらに、「心身一如(心と身体は密接不可分で相関関係をもつ)」という概念をそこに内包する。これらを学ぶ事は、疼痛治療にとって非常に有意義だと考える。

 最近になり、西洋医学でも心身に相関があることは常識として肯定的に捉えられており、心身医学や心療内科という分野ができている。しかしDescartesの時代より心身二元論に固執し、信奉してきた近代西洋医学発展の歴史は長く濃密で、Hippocratesの時代の精神を忘れつつあった。Hippocratesは、患者を自然環境とつながりをもった心身統合体として見ていた。これは東洋医学における、「形神統一論」・「整体観念」の概念に類似している。よって、患者の前に医学の西洋も東洋もない。ただそこには、医療者の無知と誤解があるだけで、ありとあらゆる知識を駆使して我々は患者の治療に当たらなければならない。

たかむら みつゆき


2000年三重大学医学部卒業。医師、医学博士。日本東洋医学会認定漢方専門医、日本小児科学会認定小児科専門医、産業医科大学認定メンタルヘルスエキスパート産業医、労働衛生コンサルタント、厚生労働省認定死体解剖資格を有する。